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2008年北京パラリンピック(本大会レポート9月14日)

KS5_2227.jp
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フェンシングの久川を撮影に行く。
朝日新聞 流用

車いすフェンシングで唯一の日本代表、久川豊昌(42)=高知県中土佐町=は、シドニー、アテネに続き3大会連続の出場だ。前回2大会は入賞を逃した。「初心に戻って上位をめざす」と初のメダル獲得をねらう。

22歳の時、バイク事故で脊髄(せきずい)を損傷し、みぞおちから下の感覚を失った。チェアスキー選手だった97年、日本車いすフェンシング協会の小松真一理事長(54)に見いだされた。家業の花屋の傍ら、パラリンピック出場に必要な世界ランクを上げるため、海外遠征を続けてきた。

車いすフェンシングは、車いすを専用の装置で床に固定して行う。腹筋や背筋の筋力が十分ない久川は、剣を突いたとき飛び出した上半身を、車いすをつかんだ左腕で引き戻しながら戦う。勝負は一瞬だ。「相手の心と動きが読める瞬間が面白い」

国内の競技人口は十数人。練習は小松理事長と2人でやってきたが、今回、助っ人が加わった。香港出身で、シドニーとアテネの金メダリスト馮英騏(フン・インキィ)(28)だ。7月初旬に来日し、練習相手を務める。

遠征先で仲良くなった。馮は足の障害がほぼ治り、アテネ大会後に引退。久川も引退を考えていたが、日本チームの部屋に遊びに来た馮に「これで競技やめるよ」と切り出すと、「だめ! 僕ができることをする」。日本の車いすフェンシングの衰退を心配し、06年の香港の大会では日本チームの監督を引き受けた。

「試合も面白いが、世界中の、心の通った友に会えるのもうれしい」と久川。友情にも支えられ、大舞台に挑む。

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